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“広告”を社会の装置として再定義する-アドテク時代に失われた意味を問い直す-ATS Tokyo 2025 セッションレポート

ATS Tokyo 2025 の最終セッション「広告の役割[再考]、アドテクは[広告]の意味を殺していないか?」では、同志社大学大学院ビジネス研究科教授の高広伯彦氏が登壇した。

 

本セッションは、高広氏の講演と ExchangeWire JAPAN 編集長・野下智之との質疑応答で構成され、広告の歴史的役割、制度との関係、都市形成への関与、社会問題との接点、そしてアドテクが支配する現代における広告の「意味の喪失」が議論された。
効率化が極端に進む広告環境の中で、人間中心の広告文化をどのように取り戻すか-その核心に迫る内容となった。

 

セッション登壇者

  • 同志社大学大学院ビジネス研究科/教授/高広 伯彦 氏
  • ExchangeWire JAPAN/編集長/野下 智之

 
 

引札が変えた商いの構造-「相手の得」を伝えるという広告の原点

 

高広氏は冒頭、日本型ビジネスに根付く利他的行動に触れながら、広告の起源を捉え直した。日本では、短期的な利得ではなく、関係性を重視した利他的行動が商習慣の基盤にあった。広告もまた、相手にとっての利益を提示する行為として成立してきたという。

 

その象徴として紹介されたのが、江戸・日本橋の三井越後屋による「引札」である。そこには「現金安売掛値なし」「配達はいたしません」と記されていた。当時の呉服商は掛け売りが一般的であり、番頭が年末に集金に回る仕組みだった。引札はこの長年の前提を覆すもので、「現金売り」という新たなルールを社会に提案する役割を果たした。単なる店の宣伝ではなく、商いの仕組み自体を変革しうる提案である点を、高広氏は広告の原点として位置づけた。

 

また、引札が社会に浸透した背景として高広氏は、江戸時代の高い識字率を挙げた。武士階級はほぼ100%、農村部でも一定の読解力があり、文字を介して情報が流通する土台が形成されていた。新聞の普及はこうした基盤をさらに強化し、明治期には紙面の多くが広告で埋め尽くされるようになった。福沢諭吉は新聞創刊に際して「広告とは広く伝わる媒体に載せるべきもの」と述べ、広告を公共的機能を持つ情報装置として語った。

広告はすでにこの時点で、「情報伝達の基盤としての社会的役割」を担い始めていたことがわかる。

 
 

制度が広告を進化させ、都市が広告を必要とした-アドバルーンから通天閣まで

 

広告が社会制度と都市の発展に密接に関わってきた点についても、高広氏は豊富な事例を示した。

     

  • 制度が広告の形態を進化させたアドバルーン

大正期には「広告営業税」が存在し、広告の掲出や営業行為が地方財源を支えていた。広告に税が課されるという制度は、広告の形態そのものを変化させた。地上の広告が課税対象である一方、空中の掲示には当初適用されなかった。そこで生まれたのが「アドバルーン」である。広告主と事業者は制度の隙間を活かし、空中という新たなメディアを創出した。

 

さらにアドバルーンは社会的な場面でも活用された。二・二六事件では「勅命下る軍旗に手向かふな」と書かれたアドバルーンが掲げられ、ラジオ放送などと連動するクロスメディア的手法で反乱部隊に投降を促した。広告が社会の安定に関わるコミュニケーション手段として用いられた歴史的な事例である。

 

  • 都市が広告を必要とした通天閣の再建

都市の形成と広告の関係を語るうえで欠かせないのが、大阪・新世界に建つ通天閣である。初代通天閣とルナパークは、多数の広告掲出により運営収入を補っていた。しかし戦災で塔が失われ、再建にあたり地元商店街は資金不足に直面した。

 

当初は松下幸之助(パナソニック)をはじめとする関西企業に支援を依頼したものの、各社の経営事情もあり出資が得られなかった。そこに乗り出したのが関東の企業、日立製作所である。日立は Kansai でのプレゼンス向上を狙い、通天閣の広告掲出に協力し、資金不足を補った。こうした経緯から、現在も通天閣には日立の広告が掲示されており、都市の象徴的風景として定着している。

広告は都市の持続性を支え、街の風景を形成する「社会インフラ」として機能してきたことが、この事例からは明らかである。

 

 
 

広告の“暴力性”を社会問題へ向ける-ベネトンが示した公共的役割

 

高広氏は広告の持つ“暴力性”に言及した。暴力性とは、望むと望まざるに関わらず、人々が広告を“見てしまう”という強制力のことである。氏が紹介したのは、ベネトンのアートディレクターで知られるオリビエーロ・トスカーニの広告キャンペーンだ。

 

同キャンペーンでは、人種差別や宗教対立、戦争、エイズ差別などの社会課題が生々しく表現された。特に印象的だったのは、ボスニア紛争で亡くなった兵士の血染めの軍服を撮影した写真である。ほかにも、異なる人種が一つの手錠でつながれた写真、宗教の象徴が刻まれた墓標列、エイズ患者を家族が看取る姿などが提示された。

 

これらは特定の商品を売るための広告ではなく、広告の“強制力”を社会問題の可視化に用いたものである。高広氏は「広告の暴力性を逆手に取り、公共の議論のきっかけを生み出した」と述べ、広告が文化的対話をつくり得るメディアであることを示した。

 
 

テクノロジーの過剰適応が「人間」を消す─アドテクが奪った広告の意味

 

講演後半では、アドテクがもたらす“効率化の影”について議論が移った。高広氏は「テクノロジーそのものが問題なのではなく、過剰依存が広告の意味を弱めている」と指摘する。

 

アドテク環境では、配信効率・クリック率・CV率といった測定可能な指標が広告価値を支配する。しかし、これらの指標では広告が社会に与える文化的・公共的インパクトは測れない。広告が歴史的に果たしてきた多面的価値は、現代の KPI 主義の中では切り落とされてしまっている。

 

さらに高広氏は、AI の発展によってマーケティングの主体が「人間」から「システム」へ移動している状況に言及した。ユーザーの行動はデータとなり、アルゴリズムはそのデータから配信を最適化する。人間はマーケティングプロセスにおいて“入力データ”として扱われ、広告は“システムが最適化する対象”になりつつある。広告における“人間の創造性”が後退しつつある兆候である。

 
 

「広告が好きな人」が減っている-文化の循環を取り戻すために
 

 

質疑応答では、広告を文化として支えてきた「広告が好きな人」の減少が最大の問題として語られた。高広氏は、大学広告研究会の活動が弱まり、広告そのものを楽しむ若者が減っている現状に強い危機感を示した。

 

その背景にあるのが、かつてのインタラクティブなデジタル表現の喪失である。Flash 全盛期のウェブでは、ユーザーの操作に応じて予期せぬ反応が返ってくる「触れる広告体験」が存在した。しかし、スティーブ・ジョブズによる Flash 排除 と iPhone 化によるスマートフォン環境への移行によって、こうした文化は急速に衰退した。現在のデジタル広告はテレビ的な一方向性が強まり、「いじる面白さ」が消えている。

 

高広氏は、デジタルだからこそ可能なクリエイティビティを回復させることが、広告の人間性を取り戻す鍵になると語った。広告に触れて「面白い」と感じられる体験が増えるほど、広告をつくる人・愛する人は自然と育つ。広告文化の未来は、こうした“好き”の再生産にかかっている。

 

広告は歴史的に、商いの仕組みを変え、都市を支え、社会に問いを投げかけてきた多面的な装置だった。アドテクの効率化が進む今こそ、その豊かさを再評価する必要がある。広告を未来へつなげるのは「広告を面白いと感じる人」の存在であり、その感性をどう再生産するかが問われている。

 

ABOUT 野下 智之

野下 智之

ExchangeWire Japan 編集長  

慶応義塾大学経済学部卒。
外資系消費財メーカーを経て、2006年に調査・コンサルティング会社シード・プランニングに入社。

国内外のインターネット広告業界をはじめとするデジタル領域の市場・サービスの調査研究を担当し、関連する調査レポートを多数企画・発刊。

2016年4月にデジタル領域を対象とする市場・サービス評価をおこなう調査会社 株式会社デジタルインファクトを設立。
2021年1月に、行政DXをテーマにしたWeb情報媒体「デジタル行政」の立ち上げをリード。