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「グローバルCMOとしてつき動かし続けてきたもの」-第8回「MCA道場」が開催

去る2023年1月24日、一般社団法人マーケターキャリア協会 (MCA)は、都内にある株式会社インフォバーンオフィスにて、マーケターのキャリア育成を目的とした「MCA道場」の第8回講座を開催した。

 

「木村 幸広の信念とは 〜グローバルCMOとしてつき動かし続けてきたもの〜」と題した本講座を担当したのは、木村グローバルマーケティング合同会社代表を務める木村幸広氏。

木村氏は大学卒後、当時東証二部のユニ・チャーム株式会社に営業として入社。営業を8年務め、その後マーケティング部に異動、ブランドマネージャーやマーケティングディレクターを歴任後、Uni-Charm (Thailand) Co., Ltd. 代表取締役社長、執行役員 兼Unicharm India Private Ltd 代表取締役社長、常務執行役員 兼 グローバルマーケティング統括本部長として16年間の海外勤務を経験、帰国後は常務執行役員Chief DX Officer兼グローバルマーケティングコミュニケーション本部長に就任、昨年3月ユニ・チャーム株式会社を卒業まではユニ・チャーム一筋で勤め上げた経歴の持ち主だ。

講座の冒頭、モデレーターを務める一般社団法人マーケターキャリア協会代表理事の田中準也氏は「グローバルでマーケティングヘッドをやっていた方は珍しく、その経験を聞いていく中で聴講者が自身を照らし合わせながら【自分だったらどういう思考をしていくのか】を考えていくようなセッションができれば」と語った。

 

親子3代で商売人

木村氏は祖父が草履の、父が靴メーカーのセールスマンという家庭で育ち、幼少期は父親が車で配達に行く際、横に乗せてもらうのが楽しみだったとのこと。その際、仕入れている立場である配達先の靴屋の主人がお菓子をくれたり、物を売っている立場の父親に対する感謝の言葉を口にするのが不思議だったそうだ。その「商品を買って喜んでもらえる」幼少期の体験が身体に染み付いていたことが、入社後営業を担当していた際に生かされたという。

入社時はゼミの教授が社名を知らないほど小さなベンチャー企業だったユニ・チャームだが、会社説明会で知った『女性の暮らしを快適に』というキーワードに共感し、女性のために男性が一生懸命働こうとしている姿に一種の正義感を持ち入社に至った木村氏。男兄弟の中で育った木村氏だが、「営業として生理用品を売っていくことに全く抵抗感はなかった」と明かした。

新入社員時代は大阪に配属となり、平日は店舗まわり、土曜・日曜日は店舗のイベントに立って販売を行うという「休みなし」の生活を送る中、自社の商品のことしか考えない商品陳列など強引な売り込みが影響し、出入り禁止になった店舗があったという。売上目標を達成するため、他店舗での販売を強化することもできたそうだが、木村氏はその店舗に通い続け、毎日掃除をしたり、競合他社の売り場を整えたり「店舗のことを考える」ことを続けた結果、関係が改善し信頼を得ることができた。その経験が「三方良し」の重要性を教えてくれたそうだ。

また、売り場でナプキン選びに困る女性にメーカーのプロの人間として悩みに寄り添った商品を勧め目の前で買ってもらったり、父親と生理用品を買いに来た女の子に身体や生理のことを説明した際にたくさんの商品を買ってもらったりしたことで「営業だけどマーケティングの経験ができた」と感じたという。

物を買ってもらう立場で、店舗の方からかけられた「お前が担当でよかった」という言葉が一番うれしく、「人の役に立っている」と自分の仕事に誇りに感じた瞬間であったとのことだ。

 

克服に時間を要したマーケティング本部への異動

「いつかは商品をつくりたい」と考えていた木村氏は、30歳でマーケティング本部異動。

そこで最初に感じたのは「横文字のマーケティング用語がわからない」こと。そして数字を組みたて早めに仕掛ける「営業の強みを生かせない」こと。誰でも説得できることが営業の強みだと思っていたが、流通についての経験がマーケティングでは生かせず、克服に3年を要したという。

 

他業界から学ぶ重要性

木村氏がテープおむつを担当していた頃、「はかせるおむつムーニーマン」が大ヒットし、テープおむつから大量のお客様が流れていったそう。

売上が落ち込む中、他業界からの学びをきっかけに新しいコンセプトを発案し「テープおむつナンバーワン」として復活することができた。

男の子用・女の子用をわけた商品展開で売上を伸ばすムーニーマンに対し、分かれていた男の子用・女の子用を合体せるというコンセプトを考えた木村氏は、「男女でわかれたおむつを一つにするのだから最強おむつだ」とし、展開したところ、一気に売上が伸びたのだという。

その後、コンパクトな従来の半分サイズの薄型おむつ「パワースリム」発売したのだが、この商品は当時人気を博したコンパクト洗剤や携帯電話の小型化に着想を得て「大きすぎてかさばる」といったおむつに対しての不満を解消するものだった。その商品が導入されたことが「はかせるおむつナンバーワンはムーニーマン」「テープおむつナンバーワンはムーニーパワースリム」というワンツーフィニッシュを達成・ムーニーブランドが世の中で成功するに至った。

 

初の海外赴任

その後、タイでの新工場や営業組織、ベビーおむつの立ち上げに現地社長として携わることになった木村氏。

「商品をいかに売るか」しか考えず毎日外出して営業ばかりしていたが、現地社員から「木村さんはいつか帰国するかもしれませんが、私たちはユニ・チャーム タイでしか働くことができないということを絶対に考えてください」と言われ、「自分は現地法人のトップだ、現地メンバーのリーダーの顔で仕事をしなければダメだ」と気づいたという。現地メンバーの話に耳を傾け、色々なことに目を配り、「日本からの赴任者」の顔で仕事をしないこと。それが仕事上で最も大きかった学びだと明かした。

また、単身赴任ではなく、家族でタイにいったことにより、自身も腹が座り、現地従業員へ事業に対しての本気度が伝わり、物事が好転した結果、タイでベビー事業ナンバーワンに成長するに至ったそうだ。

続いてインドに赴任。インドではモノを売るより前に「自分が生きていく」環境を整えることが最優先だったそう。水と空気、食べ物、住むところで苦労するという初めての経験をしたそうだ。そして当時ユニ・チャームはインドでは知られていなかったため自分の部屋を借りることもできなかったという。

そして、衣食住の環境を整えた後、ベビーオムツに続いて生理用品の販売を始めるのだが、「売れなかった」。その要因は「生理用品を使っている人が少なかった」からだそう。

インドやネパールでは「生理は不浄なもの」とされ生理期間中は女性が隔離されるのだが、その不合理さを女性自身が「当然なこと」として受け入れているため、「生理用品売る売らないが論点ではなかった」と明かした。

その後「お客さんを作ろうと何年もかけ色々な活動を行い、今でも続けている」とし、具体的な活動としてNGOと学校を訪問し女子生徒への生理や命の誕生についての授業をしたこと、地道なサンプリングを挙げた。

活動を通し女子生徒の生理へ対する意識が変わり自身の身体を大切に思う気持ちが芽生える場に立ち会え「すごくうれしかった」とし、「啓発活動を通して底辺から考えを上げてかなければナプキンは絶対に売れない」と語った。その後、個人の女性を通じて販売しながらナプキンの普及を促進。

木村氏はその活動をヤクルトさんがやられていたヤクルトレディと一緒と表現。

女性一人一人がナプキンを仕入れて村で売るというモデルなのだが、その活動を通して「女性の経済的自立を実現」を掲げた。

「衛生の重要性の認識が低かったことに加えて女性が自分のためにお金を使うという習慣がなかった」ため「生理用ナプキンの使用率は15%程度、85%は代用品として使い古した布を使っている不衛生な状態」で細菌感染などの危険に女性がさらされていること、女性が自分のためお金を使う習慣を作った結果がナプキンの需要もあがってくるとした。

モデレーターの田中氏が「カルチャー変えるというのはマーケターにとってはとてもやりがいのある仕事」とコメントすると、木村氏は「インドで三方良しの取り組みができた喜び」を語り、インドでの黒字化までの10年間、インドという国・社会において、現地のメンバーに助けられたと感謝を述べた。

 

海外赴任時の姿勢

木村氏は、自分を含めた日本から赴任する人間は「現地メンバーを教えてやろうと思って赴任している」が、それはおこがましい話とし、「自分たちがその国に行かせてもらって仕事をさせてもらっている」ということにまずは感謝することが重要とした。

また、日本で生まれ育ったことにより、中学校まで国のお金で教育を受けることができるため基礎能力が築かれており、日本という国に生まれ育ったことに感謝をしていると語った。

そして言葉や文化の壁はもちろんあるが、食べるところ・寝るところ・自分自身のモチベーションが最重要課題で、特に現地法人の社長であるなら「何がなんでもみんなで成功しようっていうことを思い続けられないならばすぐに日本へ帰った方がいい。そのくらいでないと現地の仕事を奪っている立場として失礼」と続けた。

また、持論として「国境は地図の上にはない。心の中にある」「心の国境を越えてグローバルに活躍してください」とした。

木村氏は、会社から海外赴任の打診をされると「英語がしゃべれないからちょっと。。」とするのは自分への言い訳。木村氏自身もタイ赴任時は英語が一言もしゃべれなかったが、現地スタッフは「話を聞こうとし、理解しようとしてくれる」ため、絵をかいたりボディランゲージで様々なことを伝えられたとし、英語がしゃべれないことを理由に海外赴任を断ったりすることは「すべて心の国境の問題」とした。

そして日本で仕事をしている時は国内の人口一億数千万人に対して自社の顧客数、その中でのシェア率に対しての売上や利益を考えるマーケット発想だった考え方が、海外赴任したことにより、地球というマーケットで売るのでチャンスはいくらでもある、日本の人口は減り続けているが、地球規模では考えると増え続けているのだ、という考えになったと語った。

講座の最後、モデレーターの田中氏の「こんなにすごい人がどんな失敗をしてきたのか意地悪な視点から失敗をひきだそうとしたが、普通は失敗だと思われることが失敗になっていないのは何故か」という問いかけに「正直そんなに強い人間ではないだが、自分のモチベーションをすごく大事にし、どんなことでもいいので小さな改善を見つけてそれを広めていき、消化していったが眠れない夜もあった」と明かした。

そして田中氏が「一経営者として撤退戦略を左脳でやる癖があり、諦めるということも判断と覚悟が必要だが、どうにかやり続けることができるならやり続ける意志の強さをもう一度自分も考え直さなければならない」と締めた。

ABOUT 加納 奈穂

加納 奈穂

ExchangeWireJAPAN 編集担当 武蔵野美術大学卒業後、出版社に入社。WEBサイトや広告の運営に従事。その後コスメ情報サイトのコンテンツマネージャーを経て出版社での通販事業において販売促進業務を担当する。通販会社にてSNS運用に携わったのち、2022年に調査・コンサルティング会社シード・プランニングに入社。現職に至る。